2023.4追記:
タイトルや本文ではベンチャーに転職とありますが、実際は業務委託なのでフリーランスとして契約をしていました。会社からの打診で1年間業務委託で契約をし翌年正社員での契約という予定だったため便宜上転職と記載させてもらっておりましたが、個人事業が軌道に乗ってきたということもあり双方の働きやすさを優先し引き続き業務委託のフリーランスとして継続することとなりました。
地方公務員→海外移住(ワーホリ)→フリーランス→副業サラリーマン
という少し異色?のキャリアを歩んできました。
今年で31歳。
28歳の時、4年半勤めた公務員を辞めて、現在ベンチャー企業で
WEBマーケター(主にYouTube集客を担当)として働くまでの話をしようと思います。
異色のキャリアを経て分かった、
強みを活かした働き方・人生の舵取りの重要性
このnoteにそれらを詰め込んでます。
【無料個別相談のお知らせ】
ありがたいことに、このnoteを読んだ方からご連絡いただくことが増えてきました。過去の僕のように人生やキャリアに悩む方の助けに少しでもなれるように「無料個別相談」を受け付けています。
少しでも共感していただいた方、人生を少しでも変えたい、一つでも悩みを解決したい方はぜひ公式LINEまで「note見ました」とメッセージください。
その時にぜひ簡単にこれまでの経歴や悩んでいることなど、自己紹介と合わせてご連絡いただけますと幸いです。
ヒュウガと申します。
Twitterアカウントはこちら▼
https://twitter.com/gahyu55
ベンチャー企業のWEBマーケターとして働きながら副業で企業やインフルエンサーのYouTube動画編集をしています。
仕事はほぼフルリモートなので
たまに実家に帰ったり旅先でワーケーションしたりと
会社員でありながらも、
ある程度場所に縛られない自由な働き方を実現できています。
そんな感じである程度満足のいく、
少なくとも過去の自分が見たら
絶対に羨むような働き方・生き方が出来ています。
ただこう見えて僕自身はこれまで
働き方や生き方についてめちゃくちゃ悩んできました。
このnoteでは僕の自己紹介も兼ねて、
・田舎の閉塞感に苦しんでいた公務員時代の話
・人生が開けた海外留学・ワーホリ時代の話
・働き方に悩みまくっていたフリーランス時代の話
・僕が発信活動をしている理由
などをお話しできればと思います。
田舎で一生を終えるのが嫌すぎて公務員を辞めた話
地方国立大学を卒業し、1年の就職浪人を経て地元の町役場に就職しました。
安定した仕事に就いた安心感と同時に、
今後の人生にうっすらとした絶望を感じたことを今でも鮮明に覚えています。
「これから一生この地元から出ずに死んでいくんだ、、」
就職が決まった嬉しさと同時にそんな絶望を抱えて社会人生活がスタートします。
【僕が公務員になった理由】
小さい頃から「働かざるもの食うべからず」「仕事=我慢」という価値観で育った僕は
とにかく働くということに対してネガティブな印象しか持っていませんでした。
「社会人になったら一生遊べなくなる」と本気で思い込んでいたため、
「せめて大学くらい嫌なことを一切せずに人生の夏休みを満喫してやろう」
と思っていました。
そんな想いもあって大学時代は
・勉強は一切せず、単位ギリギリでなんとか卒業
・授業そっちのけでサークルでの飲み会や遊びに明け暮れる
・時給800円の居酒屋バイトを思考停止で4年間続ける
・空いた時間はパチスロに費やす
といった絵に描いたようなクズ大学生をやっていました。
当時はとにかく、
楽な方に逃げる・上手くいかないことは環境や他人のせいにする人間で
努力は一切せず、流されるままの学生生活を送っていました。
そんな4年間だったので当然就職活動は上手くいくはずもなく、
(というか怠惰すぎて書類選考も面接もほとんど受けてすらいません)
気づけば就活シーズンは終わっており内定0の状態
就職先がない状態での卒業。
流石にヤバいなと思いつつも、
本当に働きたくない。社会に出たくない。
野心もやりたいことも全くなかったので
「とりあえずホワイトで安定していて世間体も良い公務員にでもなろう」
という超絶安易な理由で公務員を目指し始めます。
1年間の就職浪人を経てなんとか地元の町役場から内定を貰うことができ、
渋々社会人生活をスタートさせたというわけです。
【仕事はホワイト。だがなんとなく感じる絶望感。】
実際に入ってみると仕事は本当にぬるかった。
正直大学時代の居酒屋バイトの方がよっぽど大変だったくらい。
・ほぼ定時帰り
年に2〜3ヶ月ある繁忙期以外はほぼ定時に帰ってました。
しかも家から徒歩5分とかだったので夏場に退勤すると外はまだ明るいなんてことはザラ
・午前中で全て終わるくらいの業務量
配属された部署が良かったのか、新卒で仕事が全く出来ない僕でも定時までには確実に終わる程度の仕事量でした(そもそも与えられた仕事以上に頑張ろうという気が当時無かったw)
・仕事のプレッシャーはほぼ0
公務員なので営業ノルマみたいなものは一切ありませんでした。
利益を出すために数字を追うなどのプレッシャーは無く精神的に凄く楽でした。
ボーナスも確実に出るし、厳しい上司もいないしで
「あれ、社会人って思ってたより全然辛くないな」
というのが当時の正直な感想でした。
とはいえこれは、当時僕自身が良くも悪くも超楽観的で、責任感0、社会人マインド0で
実際は全然仕事できてないけど仕組み上一応成り立っていただけでした笑
(責任感強い子はそれなりにプレッシャーを感じてたと思います。)
そんなホワイトな環境ですが、
入社と同時にかすかな絶望を感じてました。
絶望①:懲役40年が確定
一つ目の絶望は、40年間同じ職場で勤め続けることが確定したこと
入社当時22歳だったので短くても38年、
多分自分が定年になる頃は65歳以上でもバリバリ働くだろうから40年以上は間違いない。
懲役というと大袈裟に聞こえるかも知れないけど、
たかだか人口1万程度のど田舎。
転勤のない職場なので、
辞めない限り40年間勤め上げなければいけない状況は、
僕にとって刑務所と大差ないとすら思えました。
上司も入社〜定年まで勤め上げる人がほとんどだったので
転職という発想がそもそも出てこなかった、、、
絶望②:多様性の無い環境、同僚の9割は地元出身者
地元に就職して感じたのは多様性の無さです。
田舎あるあるなのですが、周りは地元出身者ばかりです。
わざわざ移住してくる人なんてそうそういないので、
・高卒でそのまま地元に就職した人
・外に出ていたけどUターン就職した人(僕みたいなケース)
そんな人ばかりでした。
同僚も9割は地元出身者で、「上司が友達のお父さん」なんて状況はザラです。
仮に合コンなんてしても「〇〇中の〇〇(友達)の同級生」って話題から始まりがちです笑
田舎特有の常識もモヤモヤを感じる原因になっていました。
・”長男は実家を継ぐ”という謎の固定概念
・20代後半には結婚と出産をし、30代前半には家を建てるのが当然かのような風潮
・ちょっとでも変わったことをすると一瞬で噂が広まるので、波風立たせないことが当たり前の空気感
などなど、
そういった人生・価値観自体を否定する気は全くないですが、
僕はずっと違和感を感じていました。
もちろん全員がそう考えているとは限らないですが、
基本的に同じ場所・同じ環境で生まれ育った人たちの集まりなので画一的な価値観になるのは当然のことです。
そこで生活する以上仕方ないことではあるんですが、
「こんな環境にいたら自分の人生全く広がらんやん、、」
と常々感じてました。
そんな環境で燻りつつも、根本的に自信がなく、行動力もない自分は
レールに沿った人生を送ることをどこか受け入れつつありました。
仕方ない、だって
「働かざるもの食うべからず」「仕事=我慢」なんだから
そんな生活を3年くらい続けていたところであるドラマと本に出会います。
【ついに見つけた突破口-一冊の本と1本のドラマ-】
モヤモヤを抱えつつも、仕事はホワイトですし、
実家暮らしなのでお金にもそんなに不自由しておらず
それなりに充実した生活を送っていました
ノリと勢いだけで新車のハリアーを買ったり
夏季休暇で1週間海外旅行行ってみたり
週末や仕事終わりは社会人サッカーに打ち込んだり
「仕事が辛すぎる!」って状態じゃ無かったからこそ
何か大きく行動を起こすほどのモチベーションは無かったんでしょうね、、
「現状を変えたい」と心のどこかでは思いつつも
何も行動できずモヤモヤしている日々。
ふと何の気なしに本屋に立ち寄った際、ある本をみつけます。
そこで見つけた本が
ホリエモンと落合陽一さんの「10年後の仕事図鑑」
10年後の仕事図鑑 | 堀江 貴文, 落合 陽一 | 産業研究 | Kindleストア | Amazon
僕はそれまで自己啓発本やビジネス本の類はマジで1冊も読んだこと無かったんですが、
不思議とこの本が気になって、試しに買って読み始めます。
読み終えた後、衝撃を覚えました。
本の内容はざっくりと
・将来はAIなどテクノロジーが発展し、衣食住にかかるコストが下がるので
飯を食うために労働する必要がなくなる
・人間のやることは興味のあること・好きなことだけになっていく
そんなニュアンスの内容だったと思います。
ぶっちゃけ内容はどこにでもあるビジネス書です。
それにそこまで衝撃を受けるなんて当時の自分頭悪すぎてやばいなと思いますが、
・飯を食うためには60歳まで週5日我慢して働く
・仕事は飯を食うため・プライベートを充実するための手段
そんなで固定概念で生きてきた自分にとっては衝撃的な内容でした。
(なんせ自己啓発本的なことに一切触れてこなかったので)
とにかく、27年間疑うことがなかった
「働かざるもの食うべからず」「仕事=我慢」
というパラダイムから抜け出した瞬間でした。
「やりたいことを我慢せず、もっと自由に生きたい!!」
そう思うようになり、
そこから自分の思考回路、行動が一気に激変していきます。
=============================
それと同じくして、その後のキャリアに大きく影響を与えた1本のドラマがあります。
それはアメリカの「LOST」というドラマ
そのドラマのとあるシーンが感動的すぎて
「これ英語だと何て言ってんだろう?」
気になって思わず字幕版に切り替えました
「なんやこれカッコ良すぎる。。。」
普段海外のドラマなんて日本語吹き替えでしか見たことなかったのに
それを聴いた瞬間、一気に英語や海外の魅力に引き込まれ、
「英語喋れるようになりてえ!!」
「せっかくなら海外に住みてえ!!」
と強烈に思うようになりました。
======================
この2つの出来事は自分を行動させるには十分すぎるキッカケになりました。
現状を抜け出す突破口、ウルトラC
英語の将来性、自分の興味、現状を変えたい欲がピッタリ合わさり
海外生活への興味が一気に増してきました。
そこから毎日のようにネットで調べる日々。
日に日に増していく海外生活への憧れ。
色々調べた結果、
ワーキングホリデーという制度があることを知り、
「この方法ならお金を稼ぎながら英語も習得出来そう」
「憧れの海外生活ができる」
今振り返ると行った後のことは何も決まってないのに
よくその決断できたなと思いますが、
いい意味でバカだったおかげで迷うことなく踏み切ることが出来ました笑
事前に3ヶ月フィリピンセブ島で語学留学し、
オーストラリアで1年間〜ワーホリで滞在することを決め
1年後の2019年7月31日で退職することを決意します。
====余談=====
あまりに突然の行動に親はブチギレ
長男で実家に戻って安定した仕事に就いていて一安心って時に
こんな暴挙に出たので当然ですよね笑
決意はダイヤモンドのように固かった僕も流石に揺らぎましたが、
最終的には応援してくれることになりありがたい限りです。
本当に何も考えず買った新車のハリアーも1年足らずで売ることになります笑
3ヶ月のフィリピン・セブ島留学へ
仕事の引き継ぎ、身の回りの整理を終え4年半勤めた町役場を辞めた僕は
退職した2日後には関西国際空港を出発。
ついに念願の海外生活がスタートしたわけです。
まあ海外生活と言っても実は通っていた語学学校は日系の学校で
生徒は全員日本人なのでいわゆるグローバルな環境って感じではありません笑
あえてそういった学校を選んだのにも理由があって
とにかくこの3ヶ月は英語力の基礎固めに選択と集中しようと思ったからです。学校のコンセプトがフィリピンでは珍しいマンツーマンレッスン少なめのインプット重視のスタイルだったため、自分の目的と合致してました。
【平日10時間の猛勉強】
まずは英語力順にカテゴリー分けされるのですが、僕が最初に配属されたカテゴリーはレベル3
2〜9まであるレベルで下から3番目でした。
(TOEICスコアを目安にレベル分けされるのでレベル3は300点台の英語力という意味)
学生時代から英語は苦手科目の一つで高校生以降一ミリも勉強してこなかったので当然の結果です。
ただ不思議なことに焦りや不安はなく、
むしろ、これから3ヶ月も英語の勉強が出来ることにワクワクが止まらなかったです。
LOSTのおかげ?か英語に対するエフィカシー(根拠のない自信)は上がりまくっていました笑
そこからは平日はカリキュラムに沿って毎日10時間以上の勉強、土曜日も午前中は自習という生活を繰り返しました。
大学受験以来、机についての本格的な勉強でしたが、
辛いと思うことは一切なく、むしろ
「大人になってからの勉強ってこんなに楽しいんだ」
と青春を取り戻したような感覚でした。
また同じ留学生の中には、
・夏休みを利用して短期留学しにきた大学生
・キャリアアップのために英語を学びにきた社会人
・世界一周やワーホリの準備で来てる人
など、色んなバックグラウンドを持った人たちがいて
その人たちと一緒に高め合ったり、生活を共にする日々は本当に刺激的でした。
バックグラウンドは違えど同じ留学に来る人たちはどこか価値観は似ている。
一緒にいて本当に心地よく刺激になる人たちばかりで、
まさに田舎で燻っていた自分の世界が大きく広がっていく感覚がありました。
【飛躍的に伸びていく英語力と取り戻す自信】
毎日の勉強やマンツーマンレッスンが楽しくて仕方ない
その甲斐もあってか、英語力はメキメキと伸びていき
2ヶ月経つ頃にはTOEICの点数も350点→595点と245点もUPさせることに成功。
最初は全く聞き取れなかった先生たちの英語も徐々に慣れ
最低限の日常会話も出来る様になり、確かな手応えを感じました。
セブでの成功体験が、自分の中にあった根本的な自信の無さみたいなものを払拭してくれる大きな経験になりました。
そんな夢のような3ヶ月が幕を閉じ、
いざオーストラリアはゴールドコーストに出発します✈️
念願のオーストラリアに着くもそこで待っていたのは・・・
最初に辿り着いたのはゴールドコースト
実は日本にいる時からずっと住みたかった都市。
・直線に50Km続くビーチ
・温暖な気候
・街の雰囲気
どれをとっても最高。
いわゆる観光地ですがワーホリで来る日本人にも非常に人気の都市で
「ここに住みたい!」と強烈に思わせてくれました。
住み始めて1ヶ月経った頃、
すっかりゴールドコーストないしオーストラリアの魅力に取り憑かれていたのと、仕事を辞めて4ヶ月近く経っていたので(留学期間中)
「もっとこの国に住んでいたい!」
「そろそろ仕事しないと貯金が減っていく」
ということで
セカンドビザ取得とお金を稼ぐためにファームジョブに行こうということになります。
セカンドビザ:
2年目も滞在できるビザ。通常ワーホリビザは1年だけですがオーストラリアの場合は特定の仕事を同じ職場で3ヶ月もしくは合計88日間すればセカンドビザを取得できます。
ファームジョブ:
その特定の仕事にあたる、いわゆる農作業。野菜・果物など種類は様々。
求人サイトで仕事を見つけブルーベリーファームに行くことになるのですが、まさかこれが地獄の始まりだったとは思ってもいませんでした。
====余談=====
オーストラリアに着いて1ヶ月間は現地の語学学校に通っていたんですが、
普段の生活も含め自分の英語力が全く通用せずかなり落ち込みました笑
セブ留学ではあくまでインプットメインだったので
ネイティブや語学学校の生徒との会話では全く話に入れず。
自分のマインドセットも大きな原因ですが、
よく居るテストの点数は取れるけど会話はできない典型的な人
になっている現実を突きつけられました笑
1ヶ月学校通っても日本人以外の友達は全然出来ず、
苦い留学経験となりました🥺
【時給世界一の国で時給400円で働く僕】
ゴールドコーストから車で6時間くらい走ったところにある、
コフスハーバーという田舎街のブルーベリーファームに着きとりあえずここで働くことに。
さっそく働き始めるも、これがなかなかきつい。
真夏の炎天下の中朝7:00〜16:00までぶっ通しで作業
歩合制なので慣れないうちは時給10ドル(当時のレートで700円)もいかないなんてことがザラに発生します。
オーストラリアは物価も世界一高く、最低賃金も20ドル近くあるような国なので、実質日本で時給400円で働いているようなものです。
そもそもそこはインド人オーナーのグレーなファームだったため
一番仕事が速い人でも1日200ドルも稼げないようなファームでした。
セカンドビザは取れるとはいえ、これだと生活費分稼ぐのがやっと、、、
それに当時謎の焦燥感に駆られていて、
日本人だらけの環境で(住んでたシェアハウスが10人中全員日本人)
こんな時給の低い仕事なんてしてるのは時間の無駄だ
となってしまい1ヶ月ほどでそのファームを出ていくことに
(まだ来たばかりで何を焦ってるんだって感じですが、当時は生き急いでいたんでしょうね、、反省です)
その後も場所を転々として稼げる仕事を探すんですが、
全然仕事がなかったり、せっかく就いた仕事もクビになったりと全く上手くいきませんでした。
正直、「仕事には困らないだろう」とタカを括っていたので現地には50万円ほどしか持って行っておらず、
そのお金も現地で移動するための車の費用などで底をついており
給料=生活費のようなその日暮らしの生活になっていました。
仕事がないと本来の目的であるセカンドビザすらも取れないので
ただただ時間を無駄にしているだけです。
何より、
・外国人労働者(ワーホリ)という弱い立場
・なおかつ専門的なスキルが何もない
・職場のボスの言いなりに働かないとまともに仕事にも就けない
そんな自分の現状にフラストレーションが溜まりまくっていました。
そんな悶々とする数ヶ月を過ごし、いよいよ貯金も10万円を切ってきた中
瀕死の自分にトドメを刺す出来事が、、、
【引導を渡すコロナパンデミック】
忘れもしません。2020年3月下旬。
日本よりほんの少し遅れて
オーストラリアでもコロナが流行し出しているというニュースが入ってきます。
最初は「大したことないだろう」と思っていたが
オーストラリアはその辺対応がめちゃくちゃ早くてすぐに国境封鎖やロックダウンに動き出します。
その時自分がいたのはタスマニアという離島。
「ロックダウンで身動きが取れなくなる前に本島の方に移動しよう」
ひとまず、最初働いていたコフスハーバーに移動し、
タスマニアで仲良くなった友達の紹介でシェアハウスに住むことになります。
ただ、ロックダウンにより、レストランなどのお店は全てクローズ。
移動も制限されていおり仕事探しが本当に難航します。
一緒にいた友達は元々タスマニアで働いていたファーム会社から異動という形ですぐに仕事についていましたが、僕は何故か返事が来ずいつまで経っても働けない状態。
いよいよ追い詰められていた僕に残された選択肢は
①諦めて帰国する
②現地でなんとかしてお金を稼ぐ
「コロナで給料減らされたぴえん🥺」
なんて生ぬるい状況ではなく
ワーホリなんで国からの保障は全くないので、
本来だったら①を選ぶしかないんですが
その時点で残り10日ほど働けばセカンドビザが取れるって状態。
「これだけ苦労したのに、セカンドビザすら取れず帰国なんて嫌すぎる!!」
もはやここまでくると意地でもセカンドビザ取ってやると思っていたので
②の方法でなんとかこの状況を打破してやろうと決意します。
【コロナ禍のオーストラリアで見つけた一筋の光】
とはいえ、現地での仕事には正直嫌気が差していました。
やっとの思いで見つけた仕事も理不尽な理由でクビになることも多々あったので。
そこで
ちゃんとスキルを身に付けて自分の力で稼ごうと決めます。
当時趣味程度にやっていた動画編集に目を付けます。
そのころはマナブさんなどのインフルエンサーを始めとした
ビジネス系YouTuberの全盛期で、副業としての「動画編集」が流行っている時期でもありました。
「これならいける」
新品のMacBook Proを買い、Adobeを契約し、
1ヶ月毎日のように作業しました。
一通り操作を覚えTwitterを使って案件の募集に応募していると
運よく動画編集系の発信者から案件を振ってもらうことができ、
初めて自分の力でお金を稼ぐことができました。
もちろん現地で生活するにはまだまだ全然足りませんが
仕事に不満を持ちながらもスキルが無くどうすることも出来なかった
弱い自分をようやく変えられた気がしました。
====余談=====
その後現地でもなんとか仕事が見つかり、
セカンドビザの要件である88日間のファームジョブを終えることができました。
本来であれば3ヶ月〜4ヶ月もあれば終わるところが
結局7ヶ月間もかかりました。
苦労話ばかりにフォーカスしてますが、実際はめちゃくちゃ楽しく
日本だと絶対に経験できないことばかりだったのでいい思い出です。
けどあれだけ苦労してもぎ取ったセカンドビザは結局使うことなく
日本に帰国するんですけどね笑
【3ヶ月で月収15万円を達成し帰国】
88日間のファームジョブを終え、ゴールドコーストに戻ってきました。
ロックダウンの影響で州を跨いでの移動が制限されていたため、
ファームジョブを終えて帰ってこれた時は感無量でした笑
しばらくはゴールドコーストに住みながら
動画編集案件にコミットする生活が続きます。
3ヶ月経つ頃には動画編集だけ15万円くらい稼げるようになっており
最低限の生活はできるようになっていました。
そんな時ふと「このままオーストラリアに居続ける意味はあるのか」と考えるようになります。
元々は
・英語が話せるようになりたかったから
・海外のキラキラした生活に憧れていたから
といったすごくフワッとした理由で、半ば勢いで飛び込んだんですが
明確なGOALがあるわけでも無かったので、惰性で生活しているような状態でした。
(その結果、別にやりたかったわけでもないファームジョブに自分から振り回されてしまったんですが、、笑)
オーストラリアは大好きだけど
「もっとスキルやビジネス力をつけて、
誰にも縛られず自由な状態で来た方がきっと楽しいだろう」
と考えるようになります。
「このまま目的もなく居続けるんじゃなく日本で実力をつけてまた戻ってこよう」
1年間のワーホリに終止符を打ち帰国することになりました。
フリーランスとしてのキャリアをスタート
就職という道もありましたが、一旦はフリーランスとして頑張ってみることに。
SNSでも動画編集で独立している人たちが沢山いたので自分も自然な流れでその道を辿るようになります。
全てはオーストラリアに舞い戻るため
【休みなく案件をこなす日々】
言ってもまだまだ素人同然のスキルレベル。
ひたすら案件をこなす日々を過ごします。
元々趣味で始めた動画編集が仕事になり、
視聴者として見ていたYouTuberさんの編集を担当させてもらったり、
仕事を通して徐々にスキルアップしていくことにやりがいを感じていました。
それと同時にフリーランス・クライアントワークの厳しさを思い知らされます。
・動画編集スキルだけだと時給単価はめちゃくちゃ低い
・土日だろうが容赦なく飛んでくる修正指示
・常に仕事のことが頭から離れない
最初の頃は、新しく出来ることが増える楽しさやクライアント・ディレクターから求められているという嬉しさはありましたが、徐々に疲弊していくのを感じてきました。
・デート中だろうが常にPCを持ち歩いて修正対応するために
カフェに駆け込む
・実家に帰省する夜行バスの中でも夜通し修正対応する
・数時間以内に対応しないといけないためバイトや他の仕事は入れられない
・不安定な収入にメンタルが消耗
【ノウハウコレクターになり行動できなくなる】
副業ならまだしも、
動画編集スキル1本で食っていくのは無理ゲーであることは明白だったので
新しく付加価値をつけようと試行錯誤します。
・ディレクターの教材を買ってみたり
・Lステップを学んでみたり
・営業を学んでみたり
ただどれも全く結果が出ません。
今思えば、行動量の基準値が鬼低かったり、抽象度の低い視点でしか物事を捉えられていなかったことが原因ですが、
当時の自分は
「とにかく自分には知識が足りないんだ!」
と思い込み、ひたすらインプットばかりをしていました。
そうしていると、気付かぬうちにただのノウハウコレクターになっており、
やるべきことから逃げて、ひたすら無駄なことをやっていました。
・日々の内省
「自分はどうなりたいんだろう?」とひたすら自問自答
・無料プレゼントや教材に飛びつく
「動画編集/Lステップで月収〇〇円稼ぐ方法!」みたいなものに
ひたすら食い付くも結局行動には移さない
・過去の写真を見返して自分を奮い立たせる←
これに関してはただの現実逃避でしかない(笑)
フリーランスとして活動し始めて半年ちょっと経った時の状況です。
この時期はほんっっっっっっっっっとうに辛かった
・「行動するだけやん?」と分かっているのに行動できない
・SNSで周りの成果を見て焦るだけ
・頭ぐちゃぐちゃになって紙にひたすら書き出すも結局何も変わらない
何よりも
この1年間、人生が一ミリも進んでいない
という焦りが大きかったです。
既にその時30歳になっておりこのままだと本気でヤバいなと思い
フリーランスを辞め、就職に舵を切ります。
その時の体験談はこちらのnoteを見てもらえると▼▼▼
https://note.com/embed/notes/n832024d21390
====余談=====
フリーランスに拘っていた理由の一つとして
「オーストラリアに戻りたい」
という想いに囚われていたというのもあります。
冷静に考えて無理に戻ったとしても
同じ轍を踏むだけなのは明らかなのですが、
理論ではなく感情で動いてしまっていました。
でも今は仕事も安定してきて、リモートワークなので
近々ワーケーションしに行きたいなとは思っています😌
事業会社のマーケターとして新たな一歩を踏み出す
こちらのnoteにも詳しく書いていますが、
今はフリーランス時代の経験を活かして事業会社のWebマーケターとして働いています。
独立しやすいスキルも身につくし、ほぼフルリモートで働き方も自由だしで最高の仕事だと思ってやっています。
副業でも動画編集の仕事を続けていて、
自分が本当に応援したいと思える会社さんからの仕事を継続的に受けさせてもらっているといった状況です。
ワーホリ時代から続く、長い長いトンネルからようやく抜け出した感覚です
何をやっても上手くいかず、行動すれば解決すると分かっていながら何もせず悩む。
人生路頭に迷っていた自分にようやく「これだ!」と思える道が見つかりました。
×飯を食うために働く
◎自分が理想とする生き方をするために働く
自分なりにもがいた結果、3年前とは全く違う働き方を手にすることができました。
ワーホリも動画編集もきっかけはただ単に「憧れ」や「稼げそう」といった安易なものですが
そこでの経験は今の自分に繋がっていて
「決して無駄ではなかったんだな」
と今では強く思えます。
発信活動をしている理由
いつにも増して曝け出したnoteだったんですが、
僕なりに色々経験してきて思うことが沢山あります。
・挑戦・行動できずに燻っている人
・働き方に悩んでいる人
そんな人が世の中には大勢いるということ。
確かに挑戦や行動には痛みは伴います。僕も散々苦労してきました。
ただそれ以上に行動しないことのリスクの方が大きいと思っています。
あのまま公務員で居続けていたらきっと今頃足元固まって本当に辞められなくなっていたかも知れないし、
転職に踏み切らなかったら今もずっと悩んでいたかも知れない。
もちろん、ただただ勢いで会社を辞めたり、独立することをおすすめはしませんが、今ある現状を変えられないと思い込むのは違うかなと思います。
そしてあなたが行動できないのは決して行動力がないからではありません。
そもそも人間にはコンフォートゾーンというものがあります。
現状を変えようとしてもホメオスタシスが働いてコンフォートゾーンに引き戻されるものなんです。
(気になる人は単語で調べてみてください。触りだけでも知っておくときっと役に立つはずです。)
公務員時代、休みの日に自己啓発書やブログを読んで触発されるも
月曜日に職場に行ったら現実に引き戻されてその情熱は消えていく
そんな経験を毎日のようにしてました笑
今思えばホメオスタシスが思いっきり働いていたんだなと。
そういった脳の構造を理解しておくことも非常に大切です。
=======================================================
自分の苦手なフィールドで戦っている人が大勢いるから
特にSNSでは
動画編集だ!Lステップだ!今はコンテンツ制作代行だ!
てな感じで日々色々な情報でで溢れています。
それらの情報自体が間違っている訳じゃないし、
色々スキルに挑戦するのも大切ですが
「それって自分の強みを活かした働き方ですか?」
と改めて自問自答して見てください。
僕自身それで苦労してきました。
体力がなさ過ぎて全く向いていないファームジョブを続けて消耗したり
営業が苦手なくせに必死でテレアポや対面営業して全く成約取れないかったり
今思うと自分の強みを全く活かせていない働き方を長くやっていたなと思います。
じゃあ強みってどうやって見つければ良いの?
て感じですが僕の答えとしては
①とにかく興味のあることは全部やってみる
②過去を振り返って自然にやっていたこと・周りから求められてたことを探す
この2つだと思っています。
「やりたいことが分からない」
と言っている人は自分の中にデータがないだけです。
「これは続けられる」「これは向いてない」
といったデータを地道に集めていけば自然と向いているものだけ残っていきますよ
僕自身、プログラミング、ブログ、英語、海外移住、動画編集など
色々手を出しては辞めてきましたし、別に元々行動力高いわけでも多趣味なわけでもありません。
「とにかく現状を変えたい!」という一心でもがいていたら自然と自分が得意なことが分かっただけです。
また、自分の強みというのは過去からの流れの中に必ずあります。
それこそデータですね
・昔から強制されなくても自然にやっていたこと
・周りから求められてたこと・相談されてきたこと
・コミュニティ内での立ち位置
こういった要素をひたすら紙にでも書き出して
共通点を見つけて見てください。
別に突出したものじゃなくても大丈夫です。
人よりちょっとだけ優っているものであれば十分強みになります。
僕の場合ですが、
「運動は努力しても苦手だけど勉強は自然と出来ていた」とか
「クリエイティブな発想よりも数字を見てロジカルに判断する方が向いてる」とか
過去の経験から自分の性質が掴めるはずです。
SNSのノイズに惑わされず、
自分のセンターピンを見つけましょう。
=======================================================
人生の舵取りは出来ていますか?
僕は昔から自分でコントロール出来ないことにすごくストレスを感じる人間でした。
普通の人なら「仕方ないよね〜」って割り切って全うすることでも
我慢できずどうにかしたいと思うタイプでした。
周りは「仕事ってそういうもの」と、
不満を持ちつつもどこか受け入れていた。
自分の中ではそれを受け入れるという発想はなく、
「人生の舵は自分で握ろう」と努力してきたつもりです。
・安定してる公務員だろうが田舎で生きるのが嫌ならキッパリ辞めるし
・ワーホリだろうが現地での仕事が辛いならスキル身につけるし
・フリーランスなのに自由じゃないなら会社員として自由を手に入れるし
固定概念にとらわれず、自分が感じる違和感・疑問には素直に従っていく
人生を僕は選びたいですし、皆さんにも選んでほしいです。
最後に
【無料個別相談のお知らせ】
ありがたいことに、このnoteを読んだ方からご連絡いただくことが増えてきました。過去の僕のように人生やキャリアに悩む方の助けに少しでもなれるように「無料個別相談」を受け付けています。
少しでも共感していただいた方、人生を少しでも変えたい、一つでも悩みを解決したい方はぜひこちらまで「note見ました」とメッセージください。
その時にぜひ簡単にこれまでの経歴や悩んでいることなど、自己紹介と合わせてご連絡いただけますと幸いです。
=============================
長くなりましたが、ここらで締めくくりたいと思います。
何度も言いますが、僕自身昔から本当に自信がなく、
行動や挑戦ができずにひたすらもがいてきた人生でした。
けどほんの些細なことで自分の枠から抜け出せたり、
人生を広げてこれたのも事実です。
これまで発信活動をそこまで本気でやってこなかった僕ですが、
これからは、過去の自分のような人に気づきや勇気を与えられるような発信をしていこうと思っています。
ではお付き合いありがとうございました。